東京大学LGBT+サークル UT-topos

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平喜多ゆや『さよならチカちゃん』(白泉社,2014)レビュー

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こんにちは。はじめてブログに投稿します。法華ノ阿闍梨です。

 

先週の夏学期最後の本郷ランチ会(その日もたくさんの人でにぎわっていました)で、「じゃあー、きみ」という具合に指名され、記事を書くことになりました。

何を書こうか迷ったんですが、結局友人の軽口によってBLレビューを書くことにしました。多分「BLレビュー書けばいいんじゃね」という言葉には "w"5個くらいついていたような気がしますが、「押すなよ!押すなよ!」と言われたら押したくなるのが人の業。

正直なところ最近絶賛社会の冷水を水垢離のごとく浴びているおかげで、日常を記すととんでもない闇が出る、というか闇にしかならないので、自分の上澄みの、きれいなところを濾過したところ「BLレビュー」になった次第です。

 

今回は平喜多ゆや先生の『さよならチカちゃん』を紹介します。

萌えと欲望を煮詰めただけの記事ですが、お付き合いいただけると幸いです。


端的に表すと「方言とか背中とか真直ぐな高校生とかうわあかわいいすげえ」みたいな作品です


平喜多ゆや『さよならチカちゃん』2014、白泉社

 (タイトルにamazonへのリンクを貼ってありますので、書影はそちらでご確認ください)



方言って、萌えますよね。

純粋に言葉そのものの響きが共通語と違うのもあるし、ふと何かをきっかけに漏れ出てしまう言葉と言うのもいとおしい。そのあと恥じらっちゃってもいいし、気づかずにドヤっと話してしまってもいい。どんな演出であったとしても、方言は言葉のアクセサリーとして機能しうる。

本作品に出てくるのは宮城県の方言である(地域は明示されていない)。

将也の言う「どごさも行がねでや お前がいねえど淋しいっちゃ 俺んどごさいでけろ」とか涙で顔をくしゃくしゃにしながら言われちゃうととてもかわいい。

唯一残念なところは、漫画だと発音がわからないところである。テレビなどでよく耳にする関西地方の方言だったらまだしも、東北地方の方言は東京方言話者には想像しづらい。表記には現れない音声(主人公が話す地域は鼻濁音なのかなーとか、だとしたらもっとかわいいなぁとか)そのものアクセント及びイントネーションが特徴的なため、読むだけでは主人公たちの本当の口ぶりを脳内再生することができないのだ!これはぜひこの地域の方言が話せる声優をチョイスしてドラマCD化しなくては、真にこの作品を楽しむことはできないと思う。

 

というのも、本作品ではこの方言と共通語の使い分けが大きな意味を持つからである。

 

 

舞台は宮城の海沿いの街。物語は、泰周(チカ)とその恋人の将也が手を重ねながら、アイスを頬張って海を見つめるシーンから始まる。

この時点で、チカは両親の離婚により東京の高校に転校することが決まっていた。

 

チカが宮城を離れるまでの将也との会話では、地元方言と東京方言の使い分け、則ち言語的な距離づくりが、感情的な距離のメタファーとして機能する。

 

将也もチカも離れ離れになってしまう淋しさと不安の中で、遠距離恋愛に対して正反対なリアクションをとっていた。将也は必死にそれをポジティヴに捉えようとし、努めて明るく振舞っていた。しかし、淋しさに沈むチカは却ってこの将也の態度のせいで苛立ってしまう。

東京まで往復1万円で行ける夜行バスや東京で見れる映画やテレビの話をして、「向こうで遊ぶの楽しみだな」とか抜かす将也を見て、チカはこう言う。

「お前なしてそんな無理に笑うの」

将也もまた、辛い現実を受け入れきれてなかったのだ。二人の思いはすれ違い、チカは家に帰ってしまう。

「まだ荷物全部まとめ終わってないし じゃあね」

さらりと東京方言をしゃべって立ち去るチカを見て、将也は「チカの標準語は妙にきれいで少し怖かった」と思う。

 

 

おそらく、チカがこんなに東京方言が上手なのは、母の影響があるのではないだろうか。

チカの母は東京方言を話す姿しか描かれておらず、離婚後東京に引っ越すこと、現地に知り合いがいる事も考えると、東京乃至その近郊出身の可能性が高い。それなら、チカが母の話す「妙にきれい」な東京方言を習得したとしてもおかしくないだろう。

チカの両親の離婚の原因は明らかにされていない。チカの母と姑の間の軋轢が暗示されているのみだ。チカの母の東京方言も「言語の距離」の一端を示しているのかもしれない。海辺の田舎町で、チカのように現地の方言を話す事はなく、馴染む事が出来なかったのだろうか。

そんな母を、チカが責めることはない。かと言って味方になってあげるわけでもないが、配慮し、流れに逆らうことなく、受けとめる。

「泰周はお母さんについてきてくれるもんね?」

という言葉を聞いて、どのような返事をしたのかはわからない。ただ、将也の顔を思い浮かべつつ、おそらく母の提案を受け入れたのだろう。

 

このように、二人の毎日の生活に断片的に家族の姿が挿入され、二人の親との関係も描かれている。そして、チカも将也も両親を捨てることなく、受け入れ、受け入れられたいと考えている所が、本作品を現実感のある地に足付いた作品にしていると思う。

同時に、親は二人の力ではどうにもならない変化を続ける世の中の一端をなし、二人の無力さ、世間知らずさをひきたてる役割もある。

 

チカの両親が離婚に至る一方で、将也は実家の家業をつぎたいと考えている。競りの雰囲気が好きで、夜明け過ぎに市場に出かける父を尊敬している。父は店を維持するために懸命に事業を展開していた。そんな姿を見て、将也は東京の大学を出てから、店を大きくしようと決心する。孫の顔は見せられなくても、チカを受け入れても文句を言われないようにするためである。

このように将也はホモフォビアが強い田舎でも、家業を継いで根を張って生きたい、そして家族や地域に受け入れられたいと考えている。一方で、チカは離婚し、自分を将也から引き離してしまうある意味では「身勝手」な親を受け入れている。

ちなみに、そんな地元で生きる将也の家庭で話されるのは、もっぱら町の方言である。

 

 

この作品には、航と佳英というカップルも登場する。

二人はチカの転入先の高校の生徒で、おそらくオープンのカップルであり、同級生の間でも二人が恋人関係にあることは知られている。しかしながら、佳英が起こした問題(おそらくプラス航の性格...?)の影響により、二人は学校で孤立状態に陥ってしまう。

この状態を佳英は「甘く澱んで心地よ」いと表現している。

それゆえか、将也とチカを描く時よりも、航と佳英を描いた話の方が表情の抑揚が抑えられ、全体的に暗めのトーンで描かれている。

そんな佳英・航ペアだが、チカと知り合うことでやっと新しい風が吹きこまれ、二人の閉鎖的な世界は終わる。

そして、本作品は描き下ろしで佳英と航、チカが将也のもとを訪ねるシーンで幕を閉じる。

 

航が水平線を背にすがすがしく笑って、それを見つめる佳英は自分たちの行く末に思いを馳せる。

「知らないことば 初めてふれる風 航が背負っていた水平線 あの向こうに何があるのだろう」

 

ここで特徴的なのが、このシーンで潜在的な不安が描かれている点である。

BLはあくまでもファンタジーであり、多くの作品はハッピーエンドで終わる。すれ違いの末に結ばれたり、最終的には愛の交歓という形で、幸福を前面に押し出すことが多い。

したがって、同様のシーンでも「大変そうだけど、二人なら乗り越えられるよね!」(キャピルン)と終わることが多いような気がする。

しかし、本作品の場合、問いかけまでで終わっているのだ。その先にあるのは穏やかに凪ぐ海原かもしれないし、全てを呑み込む嵐かもしれない。二人でそれを乗り越えられるのか、できないのか、その確証はない。将也が鮮魚店を継いでも果たしてうまくいくのだろうか、佳英が留学してしまっても、航は関係性を続けることができるのだろうかなど、不安は絶えない。

このように、本作品は一貫して、大学に合格したり、愛し合ったりする彼らの喜びと、どうにもならないかもしれない不安定な未来、そして事実どうにもならない悲しみを描いている。そんな悲しみや喜びの中を生きるのは、まだ力の弱い高校生たちだ。両親や友人といった世の中が作る大きな流れに逆らうことはまだできない。

 

そんな高校生を平喜多先生は、日々の描写や主人公たちの発想を通して描いていると私は思う。

チカが東京に出発する前、必死に寂しさを紛らわそうと楽天家を気取る将也が話すことは、こっちでは見られないテレビ番組やらイベントやら、往復1万円の夜行バスのことばかりで、すごくみみっちい。だけどこのみみっちさが彼らの経済力とか日々の生活の程度を示している。

チカだって、駄々をこねて宮城に残る事が出来たのかもしれない。しかし、チカは闘うことはせず、あくまでも親の提案に従ったのだ。チカはもうすでに両親が決めたことに自分だけではあらがえないと考え、あきらめていたのだろうか。

二人の行く末も突っ込みどころだらけである。将也の計画だって、いくらなんでも田舎でずっと一人身+男の恋人は事業を行う上できついんじゃないのか?とか、こんな田舎でカムアできるのか?とか考えてしまう。

 

こう考えると、無計画で世間知らずだが、「一緒にいたい!一緒にいるためにはどうしたらいいんだろう?」と考える真直ぐでひたむきな姿はエネルジッシュでちょっとうらやましい。

 

海原と佳英の言葉を考えると暗い終わりのように感じるが、航の最後に見せる笑顔を見ると、少し希望を含んでいるのかなぁとも妄想できる。

最後の航の笑顔は、二人だけの「甘く澱ん」だ世界では見せる事がなかった、すがすがしく、幸せそうな笑顔である。その笑顔が、もしチカたちとの付き合いを佳英が始めたのがきっかけだとしたら、この結末はどう考えられるだろうか。

佳英の小さな選択が確かな一歩となり、世の中の流れに翻弄されつつも一歩一歩生きる高校生たちの姿を描いている。そんな風に考える事もできるかもしれない。

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