東京大学LGBT+サークル UT-topos

UT-toposのメンバーが、活動内容や思うことについてブログを書いています。活動内容のご参考にご覧ください。

当たり前。当たり前?

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 初めまして。新入生の樹です。
 1年生が記事を書くのは初めてですね。一応「新入生リレー」にしましたが、他のメンバーが続くかどうか?(笑)
 東北出身の理系で、身体&自認は男性、指向はまだ分からないです。最後の部分が重要。のちほど触れます。


 地方出身で、いわゆる「セクマイ」に出会ったのは過去に2,3回。それも身体&自認が男性でなかったり、同年代でなかったりと、今思い返せば必ずしも話したいことが共通していなかったなあ...と感じます。
 もちろん、悩みを相談して気持ちが楽になったことは多々ありましたが、「話したいこと」って悩みだけじゃなかったんです。芸能人の○○がかっこいいとか、同級生の○○がかわいいとか、先輩の中で誰がタイプだとか(ごめんなさい実はそんな話もしてます 笑)。
 中高生が学校で普通に会話してそうな内容ですが、男同士で男性タレントについて話したり、クラスのイケメンを見て盛り上がったりすることってこれまでは考えたことすらなかったです。自分一人の中で完結するもので、それを誰かと共有出来るとは想像もしていなかった。
 それがtoposに入って、一気に何十人もの"同志"が出来て、特に仲の良い数人と一緒にお昼ご飯や夜ご飯を食べながら素直に話したいことを話すようになって初めて、どれだけ自分が飢えていたかを知りました(笑)

 たくさんの当事者がいること、話したいことを自由に話せることは当たり前。


 一方で、toposに入って自分の指向が分からなくなりました。
 パンセクシュアル(またはバイセクシュアル)だと思い込んでいましたが、toposで色んな人に会って、初めて東京レインボープライドやレインボー・リール東京に行ってみたりして、自分に、彼ら彼女らに特定の名前を与えることに疑問が生じました。
 セクシュアルマイノリティとか、ゲイやバイという型があると確かに安心しますが、しばらくするとその型に当てはまらない部分が気になってきてまた不安になってしまう...。

 誰もが何かしらにカテゴライズされるという考え方は当たり前?


 この3連休、レインボー・リール東京~東京国際レズビアン&ゲイ映画祭~で計7本の作品を見させていただきました。
 同性愛をどう捉えるべきか、社会に対してどのように行動すべきか考えるきっかけにしようと大上段に構えて鑑賞を急遽決意した週末でしたが、予想を大きく外れて何か気が抜けました。
 確かに「普通」じゃないことによる辛さは数多く経験した人々の集まりですが、それが全て100%「セクマイ」を原因とすることなのかな?と。映画を見て感じたことは、ゲイとしての生き辛さや社会への憎悪というよりは、1人ひとりの人間の個性でした。
 色んな人がいて、みんなが素直に生きられる社会にしていきたいなあ...。


※とある映画の舞台挨拶で、某有名子役出身俳優さんが輝かんばかりにイケメン過ぎて監督さんとか目に入らなかったことは内緒ですすみません(笑)生で見れたなんてこりゃ一生の宝だわ。

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