東京大学LGBT+サークル UT-topos

UT-toposのメンバーが、活動内容や思うことについてブログを書いています。活動内容のご参考にご覧ください。

雑感

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こんにちは!
学部2年のIと申します、別にイニシャルじゃなくても良いみたいなんですがここ最近はイニシャルで名乗るのがトレンドのようなので、ここでは誰が何と言おうと私はIです。(?)

さて、他の皆さんみたいに私も自分の日常生活の一片でも書き記してみようかしらとも思ったのですが、私の大変貧相なステイホーム生活を皆さんに見せても誰も得しないだろうと気付いたので、今回は私のここ最近のボンヤリとした考え事についてでも書いてみようかと思います。(先に断っておきますが、ここに書かれてることは全てUT-toposの公式見解ではなくてIのただの個人的な戯言です!)

さて、時季ももう七月ということで、最近結構暑いですよね。今年の私はお家に引き籠ってばかりですが、去年の今頃は何してたかなと思い返してみると、サークル(UT-toposではない)の後輩と一緒にアイスクリーム屋さんに行ったことを思い出しました。そうです○―ティワン○イスクリームです(小声)。最高ですよね。その日はとにかく暑かったのでアイスクリームがそれはもう美味しかったんです。お店の中で一緒にアイスクリームを食べながら二人でしょうもない会話を交わしていると、ふと何かの拍子で話が恋バナの方に飛んで行きました。
「Iさんは今好きな女の子とかいないんですか〜?」「あ〜...」私は自分のセクシャリティについては特に秘匿してはいませんでしたが、そういえばこの後輩には話したことはありませんでした。「その、別に隠してるとかじゃないんだけどね、僕、好きになるのは異性じゃなくて同性なんだよね」「あ、やっぱりそうなんですね!なんかそうなんじゃないかなって気はしてました」「え、なんで?」「だってIさんって時々仕草が女の子っぽいじゃないですか、だからそうなのかな〜って」その時はよく分かりませんでしたが、後輩のその言葉を聞いた時、私は自分の心が不思議とザワザワしたのを覚えています。あの時のあの不穏な気持ちは何だったんだろう、と最近あの日を思い出して考えてみたことがありました。

恐らく、私はあの時「(女を好く)男」と「(男を好く)女」の2つを人間の「標準型」とする姿勢を後輩に見出したんだと思います。「女性ではなく男性を好きになる→男性性が低い→相対的に女性性が高い→だから(女を好く)男性よりも女性っぽい振る舞いをする」といった具合でしょうか(本当のことは後輩に訊いてみないとわかりませんけどね)。私自身はというと、「男性でないこと」と「女性であること」は同一ではないと思っていて、自分は男性ではないかもしれないと思うことはあっても自分のことを女性だと認知したことはありませんでした。後輩の言う私の「女の子っぽい仕草」も、私自身は女性性から出るものではなく寧ろ自身の男性性に対するこだわりが低いことから抑圧されずに表れているものだと認識していました。色々思い返してみると、私が不快に感じたのは後輩が「男性同性愛者」の型を「女っぽい男」として規定し私を「私自身」としてではなくそういった型の具象形として見ていたことだったんだと思います。だって折角の人間付き合いならお互いを何かの概念の化身として見るんじゃなくて相手自身を見つめていたいですし、相手にもちゃんと「私自身」を見ていてほしいですもんね。

さて、ここまで読んでくださった画面の前のあなたはもしかしたら「なんだ、またマイノリティがマジョリティに苦言を呈すいつものつまらないパターンか」と思ったかもしれませんね。ところが、私自身は最近この類の不快感を所謂「LGBTコミュニティ」の中で覚えることが多いのです。本当に書きたかったのはこの先の話です(もうしばらくお付き合いください!)。

皆さんは「ほげる」という動詞を聞いたことがありますか?「知ってる!『穴があく』って意味の方言でしょ!」とお答えのそこのあなた、さては九州出身ですね?私もです、九州仲間ですね(最高!)
茶番はさておき、私が話題にしたかった「ほげる」は「(性的少数者である男性が)女性っぽい言葉遣いや仕草をする」という意味の言葉です(他にも色々な同音異義語(?)があるらしいですね、G○ogle先生は偉大です!)。LGBTコミュニティの中でも特にゲイの人々の間で使われることが多い語だと思います。そして実は私、この「ほげる」という単語が少々苦手なのです...

「自分は意図して女性っぽい言動をしているし、ほげるという単語にも抵抗感は無い!」という方がご自身の言動を「ほげる」と表現するのは何も問題無いと思うんです、それはその人がその人らしくあるということですからね。私が苦手なのは他者が私の(所謂「男らしくない」)言動を「ほげる」と言い表すことなんです。私は自分を女性だとは思っていないので自身の言動を「女性」のものとして見做されることには違和感を覚えます。そのような相手を「ほげている」と言い表すのには、先の後輩と同じ姿勢が表れていると思いませんか?「男性同性愛者」の型を「女性性のある男性」として規定し、相手を「相手自身」としてではなくその型の具象形として見る、という感じでしょうか。思えばゲイどうしの会話にはこういうことが結構多いように感じます、「ゲイなら当然ほげるもんだろう」「ゲイなら当然ジムに通って体を鍛えてるもんだろう」「ゲイなら当然いま話題のあのBLドラマは観てるだろう」「ゲイなら当然...」色んな「当然」が前提として形成され、そこに当てはまらない誰かを置き去りにして会話が進んでいく様子はよく見掛けます。ここにも互いに相手を「相手自身」としてではなく特定の概念の化身として見てしまう一種のしんどさがあるように思います。

これはただの憶測に過ぎませんが、LGBTコミュニティに参加した男性同性愛者の中には世間の「標準的な男/女」の型がしんどかったから自分と同じ「マイノリティ」が集う場所に来たという人もそんなに少なくないのではないでしょうか?そんな場でも全く同じ構造が再生産されているというのは些か滑稽なことだとは思いませんか? 

人を何かの属性の型の具象形として見てしまい、相手自身の人間性に対してはうっかり目を閉ざしてしまうというのはマジョリティ/マイノリティ関係無く誰もが陥ってしまいやすい罠だと思うんです。マイノリティどうしが集まっている場でも起こるぐらいですから尚更ですよね。
カテゴリーや属性は相手を理解する上で便利ではあるけれど、その人が何者であるかということを規定することはできないと私は思います。本当に誠実な人間関係というのは「私は私自身で、あなたはあなた自身だ」という姿勢からいつも始まっているのではないでしょうか?

...というのが私のここ最近の考え事でした。曖昧な思考を言語化するのって楽しいですね。
とりあえず私はコロナ禍が収まったら例の後輩とまた一緒にアイスを食べに行けるような機会があればいいな〜と思っています、あの時は上手く言葉にできなかったこともちゃんと話せるかもしれませんしね(あとサーティワ○アイスクリー○にお金を落としたい)。

それでは最後まで読んでくださりありがとうございました、
また(ブログの順番が再び回って来た時にでも)お会いしましょう、Iでした!

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